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American Museum of Science and Energy | 作成日時: Oct 18, 2005, 12:19 AM |
今居る研究所は,マンハッタン計画の際,ウラン濃縮とプルトニウム抽出を目的として建設された3つの研究所の内の一つ.ヒロシマの原爆のウランはOakRidge製造らしい.
その為か小さい村ながら(これまた小さい)科学館がある.
American Museum of Science and Energy (AMSE),一見小振りの子供科学館なのだが,これが大人が見ても面白い.子供向けのフロアでは,原子物理や発電などのエネルギー,放射能等についての説明が判り易く展示されており,科学好きなら結構楽しめる.科学や大戦時の歴史等の企画展も行なわれている. |
その中でも,Oak Ridgeに来た日本人ならここは行くべきでしょ,という展示がある(Oak Ridge自体フツーまず行かないが).
それが1階にある"Trinity test site Hiroshima".ここでは一部とはいえ,アメリカから見た大戦の(原爆製造の)歴史が見られて興味深い(写真1枚目は研究所・コードネーム"X−10"(ORNLの前身)の説明,2枚目は原爆組み立て部品送付書).
ここには,チェーンリアクションの発見からマンハッタン計画の開始,研究所の建設や研究内容,そして広島と長崎への原爆投下まで,小さいスペースながらも様々な写真や当時の資料が展示されている(ただし,原爆の悲惨さを伝えるような資料は無い).また研究所建設以前の村の様子や,建設後の大戦中の人々の生活も紹介されている.
最後の部屋は当時の米軍の活躍(?)や制服などが展示されており,日本兵が持っていた日本の国旗の寄せ書き等も展示されている. |
研究所建設前は小さな集落に過ぎなかった村を国が接収し,戦時中に今とほぼ同じレイアウトの町を作った.研究所に勤めるため,当時は今の倍以上の人口で,今は無き公共交通機関もあったそうだ.
しかも,この町は地図にも載らない"Secret city"だったこともあり,市への入り口となる主要道路には"関所"が建てられ(3枚目写真中央.ゲートハウスは今も残っている.),研究所に勤める村の人々には厳しい箝口令が敷かれていたそうだ.日本の「見ざる言わざる聞かざる」と同じ"three evils"の看板(3枚目写真左上)やポスターを見ると,当時の緊張感(?)が伝わってくる.
人々の生活も決して楽だった訳ではなく,配給も通勤も行列で,給料が入っても戦時国債を買ったり,鉄不足で家庭等から金属を集めたり,やっていることは当時の日本と変わらない.戦時中はアメリカも国民総動員だったらしい.日本に限らず,何処でも戦時中ってのは全体主義に成らざるを得ないのだな.
原爆投下のネガティブな側面に触れていないのは日本人としてはちょっとアンフェアな気もするが,「アメリカから見たヒロシマ・ナガサキ(への道)」の側面を知る上では興味深い展示.最後の妙にポジティブな軍関係の展示は何となく言い訳がましい気もしたが.
お国によって,物事の受け止め方も色々である. |
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